教室の沿革

放射線医学教室の時代

初代 桧物一三 教授

 前身の放射線医学教室の時代を遡りますと、1944年4月に横浜市立医学専門学校が開校し、1949年4月に横浜医科大学への昇格により新しく講座制度が導入され、開講したのが放射線医学教室の始まりです。当時、横浜市立医学専門学校放射線物理療法科の教授を務めておられた桧物一三先生が、横浜医科大学開学後も医専教授兼大学講師として講義を担当しておられたため、医専時代を含めると桧物先生が初代教授といえます。桧物先生は、元々整形外科のご出身ということもあり、特に骨の画像診断を専門とされ、超短波の研究などを進められました。

第二代 宮川正 教授

 1953年4月、東京第一病院から宮川正先生が横浜医科大学放射線医学教室の教授に就任されます。その頃の大学の放射線機器は財政難もあって大変劣っていましたが、宮川先生が中心となって精力的に整備され、中央部門としての放射線科の礎が築かれました。当時、ラジオアイソトープの研究が盛んに行われていましたが、1954年3月にビキニ環礁でアメリカの水爆実験が行われ、この海域で操業中だった焼津港所属の漁船第五福竜丸が死の灰を浴びる事件が発生します。そこで横浜市の要請により、魚河岸では魚や漁船を、水道関係では浄水場や水源の相模川などで放射能の測定が行われました。

第三代 津屋旭 教授

 1956年3月に津屋旭先生が教授として着任されます。津屋先生は、3Hの標識された核酸前駆物質とマイクロオートラジオグラフを利用した細胞増殖の研究を行い、その技法を海外から持ち帰ることにより、以後、この3H化合物のオートラジオグラフ法は、その優れた経済性と利便性から医薬学の広い分野で利用されることになります。1961年11月にはRI棟が建設され、新たに設置されたシンチスキャナにより、甲状腺摂取率の測定やレノグラム等の体外計測、打点式のシンチグラムなどが行えるようになりました。

第四代 伊東乙正 教授

 その後、津屋教授が癌研に転任されることになり、1964年7月、後任として東京逓信病院より伊東乙正先生が教授に就任されます。X線診断や血管造影などの研究が進められ、1972年頃には放射線治療機器のリニアックや回転コバルトなどが設置され、X線診断、放射線治療、核医学の各部門が整備されるようになります。また、1976年9月には、診断学に革命を起こしたCTが寄贈されました。

第五代 松井謙吾 教授

 1978年1月、本学出身の松井謙吾先生が教授に就任されます。CTを代表とするコンピュータを使った画像診断が始まり、Interventional Radiology(IVR)も行われるようになりました。1980年代にはMRIが開発、利用されるようになり、画像診断はさらに進歩を遂げます。放射線治療の分野でも、高エネルギー放射線治療や新しい小線源の開発・利用が進み、1988年8月にはサーモトロンRF-8が設置され、深部臓器に対する温熱療法が開始されました。

第六代 松原升 教授

 1992年7月に本学出身の松原升先生が教授として東京医科歯科大学より着任されました。この頃には、放射線科領域における技術革新は飛躍的に進み、専ら先進技術が集中する科になりました。診断分野では、CT、MRI、血管造影、SPECT、超音波などを用いた総合画像診断が一般化し、検査件数が大幅に増加しました。2000年12月には、新しくPET装置が附属病院に設置され、全国に先んじて臨床での使用が開始されました。研究面では、放射線腫瘍生物学や染色体分析の放射線医学領域での応用などが進められました。松原教授は、平成1999年2月から附属病院長を兼任され(同年4月からは専任)、2002年3月に定年退官されました。

第七代 井上登美夫 教授

 2001年9月、群馬大学から井上登美夫先生が教授に就任されました。その年に附属病院では心血管装置、次年度にはアンギオCT装置、16列のマルチスライスCTと次々に診断機器の更新が行われ、画像診断レベルは向上の一途をたどります。また、シネフィルムのデジタル化とPACS(医療用画像管理システム)が整備され、完全フィルムレス化が実現しました。中でも井上教授のご専門である核医学分野の発展は目覚ましく、最新のPET-CTやSPECT装置が設置され、分子イメージングの技術が臨床に広く利用されるようになりました。放射線治療においては、リニアックが更新され、強度変調放射線治療(Intensity-Modulated Radiation Therapy, IMRT)や定位放射線照射などの高精度放射線治療が始められるとともに、I-125などの新たな核種を用いた小線源治療も他施設に先駆けて開始されました。2007年には、文部科学省の財政支援によりがん専門医等の養成を行う「がんプロフェッショナル養成プラン」(通称がんプロ)が開始され、放射線治療専門医を志す教室員が増加しました。井上教授は在任中、市民総合医療センターの病院長や医学部長などを歴任され、2018年3月に定年退官されました。


放射線治療学教室の誕生

 2018年4月に放射線医学教室が放射線治療学教室と放射線診断学教室の二つの教室に分かれ、両教室にそれぞれ主任教授が置かれることになりました。同年6月に本学出身の幡多政治先生が放射線治療学教室の主任教授に就任され、翌年2月には熊本大学から宇都宮大輔先生が放射線診断学教室の主任教授に就任され、現在に至ります。  教室の分離に伴い、附属病院でもその専門性を明確にするために、2023年4月より放射線科の診療科名が放射線治療科と放射線診断科に変更となりました。診療科におきましては、主に悪性腫瘍の放射線治療を担当し、横浜市立大学附属病院と市民総合医療センターの大学附属の二つの病院の他、神奈川県内を中心に16の連携病院に放射線治療医を派遣し、地域医療を担っています。


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